上野善一さん (入善町荒又)
入善町ボランティア友の会
日本キャンプ協会D2-020668キャンプディレクター
日本レクリエーション協会A63861レク・インストラクター
今回は東京から入善町に移住された上野善一さん(83才)にお話しを伺いました(^^)/
早速ですが、東京から入善町に移住されたいきさつを教えてください。
会社勤めと自営業をやって、60才頃になったので好きなことをやろうと思っていました。散々好きな事をやってきたけれど、一生のうちに、自分の住む家を、自分で建ててみたいという夢がありました。そしたら、ちょうどJRで払いさげる土地があると聞いていろいろ見ていました。安くていい場所が中央線辺りに沢山あったけど、道とはつながっていない。もともと線路を作る予定で買っていた土地だから、いわゆる僻地が多かったのです。そこで、町道に面している場所で、どこかいいところがないかなぁと探したのが、この入善の荒又の踏切の脇でした。
面積は250坪ぐらい、すごく安くて、土地の人が優先だったけど、誰も欲しいという人がいなくて、一般公募になったので、直ぐ家族全員で沢山の申込みハガキを出したところ一枚が当選しました。
その後は登記とか面倒な手続きも全部やって引き渡しになったので、本当にただみたいなものでした(笑)
定年後の再スタートで夢が叶ってよかったですね!建物を自分で建てるということなのですか?
そうです(笑)入善の人からすれば、何か変人扱いだったと思います(笑)
誰も話しかけてくれないし、見ているだけ。家は1年半かけてやっと出来ましたが、その間役場の人が何回も訪ねてきました。違法建築かもしれないと思って見に来るわけです。あと固定資産税をとるため(笑)
そのたびに「素人が作ってるんだからまだ出来るわけねぇぞこらぁ!」って(笑)
東京生まれだから言葉も悪い(笑) 「出来上がったらこっちから電話する!」と。
完成したから見に来てくれて、調査しましたが、その時に調べにきた人とは、今、学童保育で一緒に働いいています。「あ~!あんとき測りに行ったわ~」とね。
あと、水も必要だから井戸も掘りました。回転式5馬力のモーターで超硬の刃をつけて掘りましたが、5メートル掘るために刃を5枚も取り替えましたよ。5枚もあれば普通なら30メートルは掘れたはずなのにと思って。でも刃はボロボロなわけです。
隣のじいさんが見に来て「その方法じゃ掘れんよ。上からドスンドスンと突いて掘るよ。」と教えてくれました。
回転式の方が速く掘れるはずなのにな・・と思いましたが、黒部川扇状地の砂礫層のことは井戸堀を通じてよくわかったんです。若い井戸掘り屋さんに、ドンドンつくと石は割れるからそれで掘れるんだと教えてもらえました。「じゃあ割れる時は音が変わるんだね。」と言うと「素人なのによく音に気がついたね。」と感心されましたよ(笑)
大変だった事はありますか?
ここに来て住んでいるから、人と慣れなきゃいけないでしょ。土地の人に話しかけてもなかなか…。例えば家に用があってきた人に上がりなさいって言っても、決して上がらないし、その逆も同じ。
ん~つきあい方が北陸の人はどうも違うぞと。これは長い歴史に関係しているなと。
図書館に通って下新川の考え方がわかる書籍をたくさん読んだので、何となく大体解るようになりました。
自分との違いをいくら言ってもだめ、こっちが入り込むしかなんだと。
ある時、老人会の役員選出会で、誰もやり手がなかった。私が「何十年も歴史があるのかわからないけど、ここで打ち切るのはもったいない。」とかなんとか言ったら「じゃあお前がやれ!」と言われて、自分でよければやる、ただし会長になったからといっても偉いわけでも知名度が上がったわけでもなんでもないから、寄付行為は一切しない条件を出したのと、時々とんでもないこと言い出すかもしれないけど、皆が賛同したら、考えを受け入れてくれと頼みました。「それぐらいならいいよ」ということで、10年間老人会やっていました。
「俺とは合わないから無理」と思っていたら一生無理ですからね。自分から行かないと!
ご自宅の住みごこちはどうですか?
不平不満はないです。家の窓から晴れていれば山が見えるし。例えば都内で山が見たいと言ったら、往復交通費2000円はかかります。窓を開ければ、ただで山が見える。これが財産だよ~!と皆さんに言っています。
川には思い出があって、私は下町の海抜0メートル地点で育ちました。
都内でも川が沢山ありますが、東京の川はいつも一方方向に流れているわけではないんです。川が満潮になったら川の水が逆流します。干潮になった時にドーッと海の方に流れます。
東京は流れが変わるから、昔は雨も降ってないときに、下水とかマンホールの蓋が上がってきたりしました。今は堤防があるのでそんなことはないけど、昔は家庭の玄関にも水が入っていることがあって、大潮の日は親が「玄関に靴ぬいどくんじゃないよ!」と言われました。太平洋と日本海の満ち引きが全くちがうと驚きました。
余談だけど、私が中学生のとき、3月10日の大空襲があって、その時死体が海の方に流れていくでしょ。満潮になったらまた戻ってくるわけ。行ったり来たり流れている。浮いているうちはいいけど、空気がなくなると沈むから、浮いているうちに死体を回収するのを手伝わされたものです。
富山県の川は、いつも一方方向に流れているでしょ。川ってそういうものだと思っている。下町の0メートル地点で育っているから、扇状地とかすごく興味があります。すごいところだなぁ!と。
上野さんは入善まちたび観光ガイド養成講座にもご参加されていましたね。
ガイドの勉強させていただいたけど「ガイドの立場」の勉強はしたけど、土地のことをもっと知って役立てたいです。扇状地を見ていてすごい不思議だったのは棚山台地。双方がなだらかなんです。詳しい本瀬先生にきいたら、古い時代の扇状地で流れに削りとられたからだそうです。ああこの土地を作ったのは、黒部川なんだなと実感しました。
私が土地の人とのつきあい方を学ぶ中で知ったのは、昔の黒部川は好き放題に流れていた暴れ川で、村と村の間には川がありました。川を渡らないと隣村に行けないし、いつも洪水の心配があるから、よそのことに構っていられない。そういう時代が長く続いてきたから、村の結束力も強いということです。あとは新しいことにはなかなか慎重なんだなとも感じます。
昔、関東平野の峠をいろいろ巡りました。峠は人が往来する場所。峠を越えて人が行き来するには必ず理由がある。向こう側の産業が何かということも見えてくるし、現金取引がある。だから取り仕切る人もいて時々怖いこともある(笑)入善はそんなことはない・・・ということは、やっぱりお金にならない土地だったわけです。安心安全な入善だったわけです。
扇状地は田んぼの水はけがいいわけです。でも田んぼで水はけがいいとダメでしょ。だから昔の人は土砂を田んぼに入れましたね。流水客土という日本で初めての試みを達成した。今は豊かになったし、平和な場所に様変わりしたということだと考えています。入善についてはもっともっと知りたいと思います!
入善はいいとこだよ~って知り合いに何度も電話してると、一回ぐらいは行かなきゃとなるでしょ(笑)
前に住んでいたところで公民館の運営委員をやっていたので、「こういういいところだから、子どもに体験させてやりたいんだよ。」と誘って、公民館活動費でバスを雇って会費を集めて「いろり館」に泊まりました。埼玉から2回も来てくれました。中に喘息の子どもがいたんだけど、薬を一回も使わずに済んだって。いかに空気がいいかってことですよ!その子に後で感想を聞いたら、両親に入善へ引っ越そうって言ったって(笑)
好奇心が旺盛な上野さんですが、その源は何なのでしょうか。
昔の話なのですが、私は7か月で生まれて、医者や周りの人たちに長生きできないと言われ続けた様なひ弱な子どもで、幼いながらそれが解るから「どうせ死ぬなら人のやらない好きなことをやってみよう」と思って生きてきました(笑)
戦後まもなく、米軍の払下げ用品を買って、キャンプやロッククライミングに明け暮れました。どうせ長生きできないんだから、死ぬ覚悟で何かしようと思いました。その頃テントなんて無いわけですから、舟の帆布を縫って自作したり、追浜の大砲を打つための崖でクライミングしたものです。交通費が安くてキャンプや釣りができそうな場所に出かけるうち、仲間もできましたし、働いて稼げるようになったら沢釣りに行きました。山奥でいろんな釣り師に出会います。
有名人や社長業の人は釣りを楽しむ人が沢山いますね。自分のテントに泊まっていった作家さんもいます(笑)
ご自身の経験の中で、自然の中ながら様々なことを学べると確信し、ボーイスカウト活動や、記録撮影にも熱心な上野さんです。最近は、地方移住促進会議等ありますが、上野さんは先駆者。しかもこの地で自分で建てるという挑戦から始まり、老人会(現福寿会)で、地域の子どもと交流を始めて、今もその活動が続いています。フレキシブルで、暮らしを楽しむ力・・・いろんな事を感じました!
上野さんのますますのご活躍を期待します(^^)/ ありがとうございました!